面接官も「一緒に働きたい!」と思う人を探している

大学を卒業した時は、学部の代表として答辞を読み、体育会系のクラブ活動でキャプテンを務めていたので、就職活動にはあまり苦労をしませんでした。大学の学生課と教授から推薦してもらいいわゆる大手電気機器メーカーに入社しました。学生課や教授も喜び、後輩達にも顔が立ち、なによりもいつもうるさい父の鼻を明かしたようで、誇らしかったことを覚えています。

入社後は社員研修と称して地方の工場に寮生活をしながら現場での仕事をこなし、本社へ帰った時には1か月半過ぎていました。本社に戻ったその日に配属先が発表され、財務部財務課に配属となりました。畑違いの職場で、周りは公認会計士の1次試験を通った同期や、税理士資格をとっているような同期ばかりの中で、まったくの素人は自分ひとりでした。世界中に子会社をもち、グローバル企業として名をはせていた会社だったので、経理事務よりも海外との連絡や調整役としての仕事があるのかと思いきや、まったくの経理事務で、簿記の3級も勉強したことのない私はただのお荷物でした。

毎日が戦争のようでした。時間に追われ、まったく意味のわからないことを、延々と言われた通りに作業する毎日でした。時間を見つけては、簿記の勉強をし、なんとか簿記3級をとったときには2か月という時間が過ぎていました。ようやく、周りではなされている言葉の意味が少しわかるようになってくると、今度はパソコンに向かってただ、ひたすら仕事をやっつけるというありさまでした。自分の仕事を振り返ることもなく、計画をたてるでもなく、やっている仕事の意味を考えるでもなく、時間はただ過ぎ、残業だけで会社と家を往復するだけの日がつづきました。来る日も来る日もパソコンに向かい、ひどい日にはまともに、同僚や先輩と話すこともなく1日が過ぎていきました。

1年半ほどそのままの日がつづいたある日、気が付いたら夏がおわっていました。桜の花が咲いて散ったのも気づかず、夏の盛りもやり過ごし、秋になっていました。これではいけない、自分のことを考えないといけないと思い立ちました。相変わらず、意味の分からないまま仕事をしている自分に嫌気がさしました。パソコンとしか向き合っていない自分が情けなく感じました。一念発起して転職するんだと思いました。このまま、この有名な会社にいれば、将来は安泰かもしれないけれど、自分は1日のうちにまともに人と話さないような仕事は向いていない、自分がやりたい、向いていることはこれではないと、心の内から湧き上ってきました。

そして、転職先は人とかかわる仕事をする会社にしようと決め、的をしぼりました。何社かねらいを定めましたが、一番自分にとって魅力的だとおもったのは、アパレルブランドでした。販売員からはじめたいとおもいました。人と徹底的に関わってみたい。自分がただ気まぐれやわがままで転職したんじゃないんだと、確かめたかったというのも理由の一つです。書類選考はなんとかパスし、残すは3次まである面接でした。1次面接は担当者レベルでしたが通りました。

緊張しすぎて、あまり内容を覚えていません。ひたすら、仕事を一生懸命したことや、パソコンに向かう仕事の中でも、人とのコミュニケーションを大切にしたことを話したことは覚えています。次の人事部長と営業部長の面接がポイントとなりました。一番の決め手となったことは、その会社で何をしたいのかと聞かれたときだったと思います。「私は人とかかわることが好きなんだと、前職を通じて初めて分かりました。お客様と、悩み、選び、楽しみ、買い物を一緒にしたいです。そして、ありがとうではなく楽しかったと言ってもらいたいです。」と言いました。この発言で、営業部長が少し姿勢をくずしたことを覚えています。この、私の発言がなければ、転職は成功していなかったと思います。

3次面接では、役員面接でしたが、どちらかというとほぼ決定している人物を役員が最後に確認するという具合でしたから。色々な転職サイトや転職本が出ていますが、結局は、自分が何をしたいのかを見つめることだと思います。人事の面接官は、百戦錬磨の人が多いです。小手先の戦略や対応はじつは見透かされているのです。